2026-05-22

東京青年会議所(東京JC)には、23の地区委員会が存在し、それぞれの地区が抱える課題に向き合い、より良い社会の実現を目指して、“社会開発運動(JC運動)”を展開しています。
たとえば、新宿・歌舞伎町における悪質な客引き数の大幅な減少に成功した、“新宿イメージアッププロジェクト(通称:ぼったくりす)”は、新宿区委員会がおこなったJC運動の一つです。
この23の組織を率いる地区委員長は、まさに“東京JCとしての地区の顔”を担う存在です。
その役割は、各区の区長や地域団体のリーダーといった、街のトップ層と向き合い、手を取り合うことから、地区委員会の方針決定や予算管理、さらにはメンバーの確保や育成に至るまで、驚くほど多岐にわたります。地区委員長は、いわば東京JCという大きな組織の看板を背負い、各地区の運営と未来を全面的に託された“地区の総責任者”なのです。
管理範囲が非常に広く、地区の未来を背負うプレッシャーは決して小さくありません。しかし、その責任ある立場に身を置くからこそ、リーダーシップが磨かれ、一人の人間としてひと皮むける瞬間が訪れます。
そんな地区委員長にとって、1年間の集大成として最大の誉(ほまれ)となるのが、“最優秀地区委員会賞”の受賞。これは年に一度、全23地区の中から、地域に対して最も価値ある影響を与えたと認められた委員会に贈られる名誉です。
今回は、見事“最優秀”の栄冠に輝いた3名の歴代地区委員長にお話を伺いました。
若林 真喜子 先輩(2022年受賞・港区委員会)※2025年卒業
外川 隆司 理事長(2023年受賞・中央区委員会)
溝口 遼太 先輩(2024年受賞・北区委員会)※2025年卒業
委員長就任時の率直な心境、直面した困難をどう乗り越えたのか、そして自分自身やメンバーに訪れた変化とは。1年間の現場でのリアルな物語から、リーダーシップの本質を紐解きます。
「1年間やっていけるのかな……」からの幕開け
──まずは、皆さんが地区委員長を引き受けた当時の状況を教えてください。順風満帆なスタートだったのでしょうか?
【若林(2022年・港区)】
そうですね。私が2016年に港区委員会に入った当時は、約100名のメンバーがいて活気はありました。しかし、港区委員会として事業を自ら創り上げるより、他団体が主催する事業や運動に参画する“名称使用事業”への取り組みが中心となっていたんです。そのため、東京JC内での他地区委員会メンバーとの連携、事業構築を通じた自己成長の機会にも、まだ伸びしろがある状態でした。
転機は2018年からの2年半、仕事の都合で行ったオランダでのJC活動でした。わずか15名の小規模な多国籍の青年会議所でたくさんのプロジェクトを実施したことが、自分への強烈な刺激になったんです。
帰国後、コロナ禍で活気を失った港区を目の当たりにし、「オランダでの経験を活かして、もう一度元気な港区を取り戻したい!」と委員長を引き受けました。ですが、実績もなければ、当時はお腹に赤ちゃんがいる妊婦という身。一緒に走ってくれるスタッフ探しも難航し、右も左もわからない新人メンバー中心のチームで、まさにゼロからのスタートでした。
【外川(2023年・中央区)】
中央区委員会は上下の垣根がなく、とにかく仲が良いのが自慢でした。でも、ふと客観的に組織を見たとき、東京JC全体で行われる会議や表彰の場で中央区の名前が呼ばれることがなく、年の新型コロナにより運動しづらい状況も続いていたせいか、なんだか控えめで、”存在感の薄い委員会”になっていることに気づいたんです。
「このままじゃダメだ、絶対に社会にインパクトを与えられる事業を成し遂げて中央区の名を響かせてやる!」と、委員長就任の数ヶ月前から猛スピードで事業計画書を書き上げました。ところが、スピードを上げ過ぎた結果、事業を一緒に構築していた一部の副委員長やスタッフとの歩幅が決定的にズレてしまったんです。
プロジェクトを進める前に、まずはバラバラになった足並みを揃え、委員会内で合意を取りつけるところからの再スタート。スタートラインに立つ前から「このチームのコンディションで本当に1年やっていけるのか……」と、急に不安になりました。
【溝口(2024年・北区)】
私の場合はちょっと特殊で、前任の委員長・副委員長が突然不在となったため、急きょ2023年から“委員長代理”として立つことになったんです。
スタッフは自分を含めてたった2名。メンバーの士気も低く、委員会を開いても誰も来ない。さらに辛かったのは、代理として出席した理事会でした。代理では発言権もなく、きちんと活動していない委員会の居場所のなさに凹む日々でしたね。
「このままでは終われない。北区を舐めさせない」。そんな想いで、まずは組織の土台を作るべく、泥臭く、メンバーの拡大(リクルート)に全力を注ぐことから始めました。
──皆さま、決して順風満帆なスタートではなかったのですね。この逆境から、一体どうやって23区の頂点であるMVP(最優秀賞)を獲るまでのチームに育て上げたのでしょうか?ぜひ詳しくお伺いしたいです。
ビジョンを語り、任せること”でチームは自走し始める
──チームが一つにまとまり始めた“転機”は何だったのでしょうか? また、その過程で“リーダーとしての自分”がひと皮むけた、あるいは視点が変わったと感じる瞬間はありましたか?
【外川(2023年・中央区)】
私の転機は、2023年に取り組んだインドネシアとのビジネスマッチング事業でした。中小企業の海外進出支援を目的に、現地と中央区の企業20社を繋ぐプロジェクトでしたが、突然、現地側から「まだ1社も見つかっていない」と絶望的な連絡がきたんです。
そこで私は「自分は対外交渉だけに集中する!それ以外の、日本側の企業様との調整や出店計画などは、すべてスタッフに任せる!」と決めました。そこからは、毎日英語でインドネシアの現地メンバーに電話をかけまくる日々。結果的に、その“あるべき未来を語り、なりふり構わず戦う背中”を見せたことで、次第にスタッフやメンバーの心に火がつき、「自分たちにできることは全部やろう!」とチームが自走し始めたんです。
結果、中央区の20以上の企業と、30名近くのJCIバタビア、シンガポール、東ジャワの経営者によるビジネス交流会という形でプロジェクトは大成功。これをきっかけに、JCIバタビアとJCI東京は、公式なパートナーシップを結ぶ“姉妹組織”となりました。現在も、国境を越えた強い友好関係が結ばれており、東京の企業と海外を繋ぐ懸け橋となっています。
あの時、事業への想いをメンバーに語り、思い切って“任せた”こと──。それが、結果としてチームを一つにし、世界に広がる一生モノの絆へと繋がったのだと感じています。

【若林(2022年・港区)】
私も、2日間で1万人以上を動員した大イベント“みなとダイバーシティフェスティバル2022”で“任せること”の大切さを学びました。
当初、新人メンバーが多いチームだったので、心配のあまり、私はすべての会議に顔を出していたんです。しかし、あまりの事業規模に物理的な限界が訪れ、「もう、皆を信じて手放そう。私は委員長にしかできないテレビ局との対応に専念する。」と覚悟を決めました。
そこで、イベントの実行委員長を務める新人女性の案を採用し、“新人も積極的にサブリーダーとして配置する”という大胆な布陣を敷いたんです。メンバーへの指示出しや現場の差配は全てサブリーダーに一任。すると、私がいなくても全員が自ら考え、動き出したのです。港区委員会という大きな組織がスムーズに回り始めた瞬間でした。
結果、イベントは大成功。リーダーが勇気を持って一歩下がることで、メンバー一人ひとりが主役になれる──。その確信を得ることができました。

【溝口(2024年・北区)】
私の場合は、人が全く足りていなかったので、“頼る”というよりは“頼らざるを得ない”のが正直なところでした(笑)。
委員長代理を務めた2023年は、新しく入ってくれたメンバー一人ひとりに対し、北区委員会の厳しい現状を隠さず伝えました。その上で、「今、このどん底から共に組織を作り上げ、運動を形にしていくことには大きな価値があるから、一緒にやってほしい!」と粘り強く、情熱を持って説き続けたんです。
すると、そこで育ったメンバーたちが2024年には頼もしいスタッフとなり、次の新人たちを同じように熱く誘い──結果、同じ志と目線を持つ最高のチームができあがりました。
中高生や大学生に地元の経営者との出会いを提供する“KITAZANIA”が、事業として成功したのは、まさにメンバー全員が自分事としてこのプロジェクトに取り組んでくれた結果だと思います。

──“任せる”というのは、口で言うほど簡単なことではありませんよね。特にリーダーに抜擢される方は、ご自身の能力が高い分、つい自分で手を動かしてしまったほうが早いと考えがちです。
しかし、皆さまのお話を伺っていると、リーダーが勇気を持って一歩下がり、メンバーを“信じて頼る”こと。それこそが、個々のポテンシャルを引き出し、組織全体を成功へと導く鍵になるのだと痛感しました。
人が育つ組織とは?リーダーだからこそできる“工夫”
──メンバーの成長を引き出すために、“任せる”以外で意識していたことはありますか?
【溝口(2024年・北区)】
“明確な指示を出すこと”と“結果を褒めること”です。
JC活動は仕事と違い、誰もが未経験の“苦手分野”に挑む場所です。それなのに、指示が曖昧なまま丸投げして、後から「そうじゃない」と修正(否定)を繰り返せば、メンバーは自信を失ってしまいます。
挑戦のハードルを下げ、失敗を指摘するのではなく、まずはできたことをきちんと褒める。“モチベーションを削がずに育てること”こそが、メンバーの成長には必須だと考えています。

【若林(2022年・港区)】
私は、メンバーを地区という小さな枠に閉じ込めず、“外の広い世界に出会う機会”を意識的に作りました。当時の港区には、全体の定例会に参加しない風潮がありましたが、私はあえて“行くのが当たり前”の雰囲気に変えたんです。人は自分と違う価値観を持つ他者に揉まれることで成長します。地区を飛び出し、多様な刺激に触れさせること。それが結果として、港区というチームの底上げに繋がりました。
【外川(2023年・中央区)】
私は、“適材適所”を意識していましたね。会計管理が苦手でミスが多いスタッフがいたのですが、彼が、「いつか地元の子どもたちのための地域事業をつくりたい。」という夢を語ってくれたのを機に、思い切って“わんぱく相撲”の実行委員長に抜擢したんです。すると、彼は水を得た魚のように輝き始めました。大の苦手だったエクセルすら、事業を成し遂げるために自ら習得。ホワイトボードを駆使して巨大なプロジェクトを設計し、多くのメンバーを巻き込むリーダーへと急成長を遂げたのです。自分に合う場所でイキイキと活躍する彼の姿を見て、とても嬉しく思いましたね。

──メンバーの個性を捉え、環境を整える。まさにリーダーだからこそ成し遂げられた“組織のアップデート”ですね。
お話を伺って感じたのは、手法の根底にあるメンバーへの深い“愛”です。できないことを責めるのではなく、どうすればこの人の良さが活きるか、を誰よりも信じて見守る。そんな失敗さえも成長に変えてくれる温かい土壌があるからこそ、メンバーは安心して一歩踏み出せるのだと感じました。
リーダーシップは、その座に就くことで磨かれる
──最後に、リーダー職に挑戦することを迷っているJCメンバーや、これから東京JCを知る方へメッセージをお願いします。
【若林(2022年・港区)】
正直に言えば、リーダー職はしんどいです。私も蕁麻疹が出るほど悩んだ時期もありました。でも、リミッターを外してやり切った先には、必ず見たことのない景色が待っています。
“百聞は一見に如かず”の通り、リーダー職も、あるいは少しハードルが高く感じる国際事業も、やってみて初めて本当の楽しさがわかります。それは東京JCという組織自体も同じです。外から見ているだけではわからない、飛び込んだ人にしか見えない景色や、一生モノの絆がここにはありますよ。

【溝口(2024年・北区)】
リーダーの仕事とは、自分が目立って活躍することではなく“メンバーの可能性をどれだけ広げ、成長させてあげられるか”に尽きます。ただ、そのために何をしたらいいのか、という視点や思考は、実際にリーダーのポジションに立たない限り、一生育ちません。なので、まずは挑戦してみて欲しいですね。

【外川(2023年・中央区)】
委員長は、自分の思いついた打ち手をあの手この手と試せる、一番楽しい立場なんです。失敗を恐れず試行錯誤し続けることで、組織は必ず活性化します。ぜひ、その“自由な楽しさ”を体感して欲しいですね。
もちろん、最優秀賞受賞の瞬間は大きな喜びと達成感に満ちています。ですが、私が何よりも嬉しかったのは、メンバーから「共に競い合った他地区の委員長たちとステージに立った瞬間の景色は、本当に別格でした!」と言ってもらえたこと。この事業をきっかけに、中央区委員会のメンバー一人ひとりの「社会を良くしたい」という熱量が高まっていくのを肌で感じました。
今年2026年は、理事長として、すべてのメンバーにあの素晴らしい達成感を味わってほしいと切に願っています!

──貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました!
委員長というリーダー職には、相応の責任と重圧があります。しかし、その“しんどいポジション”に立つことでしか磨かれない、一生モノのリーダーシップがあるのも事実です。困難の先にある見たことのない景色と、自分自身の成長。あなたも、この熱い世界へ、一歩踏み出してみませんか?






