2026-04-24

選挙のとき、候補者たちがどんな政策を掲げ、どんな社会を目指しているのか。
それを同じ場で直接聞き、比較できる“公開討論会”は、今では日本各地でおこなわれています。
しかし、かつての日本の選挙では、こうした機会はほとんどなく、候補者の名前や肩書きは知っていても、具体的な政策や理念を比較できる場は限られていたのです。
この状況を変えようと、1990年代後半から候補者による公開討論会を開催する動きが広がり始めます。公開の場で政策を語り合うことで、有権者が政治を“自分事”として考えるきっかけをつくろうという試みでした。
その流れの中で、2000年から、東京青年会議所(東京JC)も公開討論会の開催に取り組んでいます。
現在、公開討論会は各地のさまざまな団体によって運営されていますが、東京JCは、特定の政党に偏らない“公平中立”の精神を大切にするパイオニアとして、有権者が本当に知りたい情報を引き出す場を提供し続けています。
この価値ある場を維持するための舞台裏は、想像を絶する過酷さです。政策への理解、関係各所との緻密な調整、そして何より“この街の未来を左右する”という逃げ場のない責任。さらに本番は一発勝負の生放送であり、ミスが許されない緊張感が伴います。
まさに、知性と精神力の双方が試される“究極のリーダーシップ養成の場”なのです。
今回は、2024年に30回以上の討論会を実施した田中 久登君と、2026年の現役委員長として走る長田 祐美さんに、舞台裏を語っていただきました。 委員長として何に向き合い、どう自分を磨き上げていったのか。その“覚悟”の物語を紐解きます。
「俺にできるのか?」という自問と「私がやりたい!」という高揚感
──“公開討論会の委員長”という打診を受けたとき、どんなお気持ちでしたか?
【田中】
正直なところ、「しんどうそう!」と思いました。
特別政治に興味があるわけでもない。年に数十回も開催があり、歴代委員長の誰に聞いても「あんなに大変な役職はない」と口を揃える。さらに、一発勝負の生放送形式で失敗は許されない……。プレッシャーが大きすぎて、即決はできませんでしたね。
でも、最後には「なんだかんだ、歴代委員長たちはやり遂げているしな……。よし、俺もやってみるか!」と腹を括りました。
【長田】
私は逆に、委員長職への憧れがあったので、打診をいただいたときはワクワクしました!
地区委員会にいた頃は公開討論会に関わったことがなかったので、先入観がなく、純粋な興味もありましたね。
また、前年に公開討論会に関わっていたスタッフが本年度も支えてくれるというという心強い後押しもあり、「なんとかなる!」と、迷わず飛び込みました。
──スタートのお気持ちは見事に真逆だったのですね!
しかし、入り口は違えど、その先に待ち受ける公開討論会という巨大な壁は共通していたはずです。実際に走り始めてからどのような困難に直面し、どう乗り越えていったのか。詳しく聞かせてください。
想定外のアクシデント、猶予6日の超短納期。委員長を襲った“顔面蒼白”の危機
──委員長職に就いてから、一番大変だった出来事は何でしたか?
【田中】
アクシデントは尽きませんでしたが、一番焦ったのは、放映を依頼していた会社から突然「対応できなくなった」と連絡がきたときです。 その会社を軸に全ての計画を立てていたので、まさに顔面蒼白でしたよ。
ただ、そこで「委員長の自分が一人で何とかしなきゃ」という思い込みを捨てました。 すぐに理事に相談したことで、結果としてより良い会社との出会いに繋がったんです。自分だけで抱え込まず、仲間に頼る柔軟さを持てたのは大きな学びでした。
【長田】
私は2026年1月の衆院選ですね。電撃解散だったため、公開討論会の開催も急遽決まりました。そのため、本来なら数ヶ月かけて準備する議案を即座に出さなければならず、審議・可決までわずか6日しか猶予がなかったんです。
当時は委員長に任命されたばかり。共に走る仲間(スタッフ)集めも、自分自身の理解も追いついていない中、あの厳しい理事会から承認を取り付け、チーム一丸となって公開討論会を走り抜けるのは……正直、二度ほど「これはヤバイ!」と感じた瞬間もありましたね。
でも、「委員長が慌てては組織が崩れる」と考え、 今まで培ってきたタスク管理やリスクマネジメントを淡々と、冷静にこなすことで、なんとか乗り切ることができました。

──お話を聞くだけで、プレッシャーで胃が痛くなります……。予期せぬトラブルや超短納期という極限状態。そこでパニックにならず、冷静に “タスクを管理しこなす”“仲間に頼る”といった本質的な対処ができたことこそ、リーダーシップそのものですね。
埋まらない“責任感のギャップ”。泥臭い対話と背中でつかみ取った組織の自走
──スタッフとの熱量の差や、マネジメントで苦労されたことも多かったのではないでしょうか?
【田中】
そうですね。特に公開討論会は関係者が多く進捗管理が命なので、23地区を各スタッフに割り振って任せていたのですが、どうしても委員長である自分との“責任感のギャップ”が出てしまうんです。報告が甘かったり、詰めが不十分だったり。
そんなとき、私はあえて“一人ひとりに電話をかけて、泥臭く伝える”ことを徹底しました。「なぜこれをやるのか」という意義はもちろん、「自分は今こういう状況で手が回らない。だから君を信頼して頼んでいるんだ」と、自分の想いまでさらけ出す。 衆院選のときは、毎日スタッフに電話していましたね。
今どき古臭いやり方かもしれませんが、これを続けたことで、スタッフからの報連相の質が見違えるほど上がりました。

【長田】
責任感のギャップは、多かれ少なかれ必ず起こりますよね。
私の場合は、とにかく時間がなくて、がむしゃらに突き進むしかありませんでした。でも、その“死に物狂いの姿”をチームが見てくれていた。 この厳しい状況を一緒に乗り越える中で、スタッフに強い自主性が芽生えたように感じます。
短期間で準備をしなければならなかった衆院選の討論会をやり切ったことで、スタッフ一人ひとりに大きな自信がつき、今ではスタッフの方から「次はこうした方がいい」と建設的な意見が次々と飛び出す、自走するチームに変わってきました。

──お二人の話に共通しているのは、“正論や仕組みだけでは人は動かない”ということですね。田中君の泥臭い“自己開示と信頼”。そして、長田さんの必死な姿が見せた“リーダーの背中”。スタッフの心に火を灯すのは、リーダー自身の剥き出しの熱量なのだと痛感しました。
プレッシャーの先で手にした“絶対的な自信”。この舞台でしか出会えない、新たな自分
──公開討論会の委員長を経て、ご自身の中で“変わった”と感じる部分はありますか?
【田中】
最初はあんなに乗り気じゃなかったのに(笑)、やり遂げた今は“大きな自信”に変わりました。150名規模のスタッフ・メンバーをマネジメントする経験は、社業でもなかなか得られるものではありません。この経験は、今後の人生における確かな土台になると思います。
公開討論会はやり直しのきかない生放送です。万が一の放送事故が政治的な問題に発展する可能性もあるので、毎回、無事に終わるまでは気が気ではありませんでした。ですが、何台ものカメラが並ぶ、本格的な生配信の現場を自分たちの手で作り上げる機会なんて無いので、そこには同時に楽しさもあるんです。そんな“究極の一発勝負”を楽しめるようになったことも、大きな収穫かもしれませんね。

【長田】
私は、何でも自分でやってしまうタイプだったのですが、この数ヶ月で“人に仕事を任せる”ことができるようになりました。信頼して委ねることで、組織が強くなることを知ったんです。
あとは、アクシデントの連続だったので、「何が起きても大丈夫!」と肝が据わりました。 直近では区長選が控えていますが、いつ何が起きてもフレキシブルに対応できる心の準備はできています。
また、この公開討論会を東京JCの誇るべき社会開発運動として次世代へ繋ぐため、マニュアル作成にも力を入れています。来年、再来年へと、この情熱をしっかり引き継いでいきたいですね。
──貴重なお話をありがとうございました!
最初は「しんどそう……」と本音を漏らし、トラブルに焦りながらも、最後は「やってよかった」と笑うお二人。その姿は、プレッシャーを乗り越えた大人にしか出せない、とても清々しいものでした。
日々、自分の仕事をこなしながら、街の未来をより良くするための活動に無償で取り組む。その過酷な経験を乗り越えた先で二人が手にしたものは、どんな大舞台でも通用する“真のリーダーシップ”です。
“大変そう”なことの先には、自分を大きく変えるチャンスがあります。もしあなたの元に、そんな少し厄介で、でも大きな挑戦が届いたなら、迷わず飛び込んでみてください。その先で、きっと今まで見たことのない自分に出会えるはずです!





